赤菱稲荷神社について
名称
赤菱稲荷神社(あかひしいなりかみやしろ、あかひしいなりじんじゃ)。通称 よみがえり神社、やりなおし神社、復活神社
ご祭神
- 稲荷大神(いなりのおほかみ)
- 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおほかみ)
- 大宮能賈大神(おほみやのめのおほかみ)
- 佐田彦大神(さだひこのおほかみ)
- 田中大神(たなかのおほかみ)
- 四大神(しのおほかみ)です。
- 稲荷大神は、キツネではございません。キツネは、神様のお使い・眷属(けんぞく)です。
元始
令和元年に伏見稲荷大社において御璽分け(みたまわけ)をいただき、勧請したのが当社の元始(もとつはじめ)です。
所在地
現在は、武蔵國新羅郡(むさしのくにしらぎのこおり)、現埼玉県和光市に鎮座しています。
由緒
宮司・家主の先祖は、昭和時代初期まで土佐國土佐郡潮江村(現高知県高知市)にあり、その氏神は潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)の御祭神 天満天神(あまみつあめのかみ)(菅原道真大神)、信教は神道でした。この潮江天満宮は、宮地神仙道の祖 宮地水位の出身神社です。
家主は、幼き頃から宗教とりわけ神道に興味があり、神主を目指しましたが家の都合により断念しました。大学生、社会人となってからも神道の研究をしてまいりました。このように、生来敬神の念が強かったところ、祖父母の神葬祭を契機として神道研究家としての決意を新たにしました。
その後、京都訪問の際に、稲荷大神の垂示を受け、更に熊野神社、稲荷神社、八幡神社、宇佐神宮、サムハラ神社などにおいて神示を得たことから、稲荷勧請に至りました。特に、神示によりサムハラ神社にて御神環の授与を奇跡的に受けられました。
勧請後は、家主の解雇、破産、父の死去といった凶事が続きました。これでは稲荷大神の御神徳どころか八十禍津神(やそまがつかみ)の禍事(まがごと)かと思ったところ、破産によって多額の債務は消え、再就職に成功し、経済的更生を果たすことができました。しかも、家主を解雇した元職場に対して訴訟を提議する直前にまでに至ることができました。
算命学の有名な占い師からは、これらの出来事は天中殺だけでは説明できないと言われましたが、ご神徳と思えばまったくそのとおりなのです。
家主の父は勧請前から癌を患っていて、家主の弟が新型コロナに感染し集中治療室で死線をさまよい退院した日に他界しました。父は弟の身代わりになったのかもしれませんね。
宮司・家主からご挨拶
平素は、皆々様から格別のご高配を賜り深くお礼申し上げます。
本ウェブサイト設立の趣旨は、稲荷大神様の御稜威と御神徳を遍く広めて、崇敬者はもとより多くの人々が幸せになることを願うものです。皆さまが稲荷大神様の極みなきお導きにより、幸いまどかになられることを願っております。